辞めたい。でも、これくらいで辞めていいのかがわからない。人に話したら「その程度で?」と言われそうな理由しか、自分の中にない。もしあなたが今そこで止まっているなら、この記事は役に立つかもしれません。
先に結論を書きます。退職の決め手は、立派な理由でなくていい。たった一言で決まることがあるし、それでいいと思っています。私の場合は、18歳・新卒5ヶ月のときに上司から言われた一言でした。
その一言が何で、なぜ決め手になったのか。私の場合の話をします。
退職の決め手は、上司の「何もやれてない」の一言だった
決め手は、支店長に言われた「さくとさんは何もやれてない」の一言でした。場面はこのあと順番に書きます。先に、この一言の何が効いたのかだけ。
ひどい言葉だったから辞めたわけじゃありません。それまで自分なりに考えて、紙にまとめて、実際にやってみたことが、その一言で全部なかったことになったからです。
もう無理だと思った、というより、考える材料が一つも残っていなかった。
1週間休んだあと、先輩から「おいでよ」と電話がきた
あの電話がなかったら、私はあの日、出社していません。
そのころ私は1週間ほど会社を休んでいました。有給の申請も、欠勤の届け出も出していません。しばらく行けないと言えば、それで休めるものだと思っていた。あとから思えば、ただの無断欠勤です。
今なら非常識だとわかります。ただ、休みの取り方がどうなっているのかを、私は誰からも聞いていませんでした。
朝、起きられない。起きても涙が止まらない。腹痛と吐き気もありました。
電話をくれたのは、事務の先輩です。部署でいちばん年上で、いつも落ち着いた話し方をする人でした。
「おいでよ」
責める声じゃない。心配しすぎている声でもない。いつもと同じ調子で、そこにいていいよ、という言い方でした。
その声を聞いた瞬間に、行こう、と思ってしまった。理由を考えたわけじゃありません。声だけで決めた。もう一回やってみよう、頑張ろう、と思っていました。
先輩に悪意はありません。休んでいる後輩を気にかけて電話をくれた、それだけです。
ただ、その善意で戻った先で、私は退職を促されることになります。
出社した日の朝、支店長に呼び出されて退職を促された
頑張ろうと思って出社した、その日の朝でした。当番を終えた9時過ぎ、支店長に呼ばれます。話し合い、という形です。
扉がなくて、会話が丸聞こえの一角だった
事務所の中の、パーテーションで囲われた一角でした。6人くらい入れる広さ。扉はありません。話している内容は、外の人に聞こえます。
支店長と2人。真面目な顔をしていました。怒っている顔ではない。深刻そうな顔、と言うほうが近い。
「事務より販売のほうが向いてるんじゃない?」
言われた順番は、正直もう覚えていません。内容だけ覚えています。
「事務より販売のほうが向いてるんじゃない?」
「他に行けば、同じ趣味の人もいるだろうし」
辞めたら、という言葉は使われていません。それでも、辞めてほしいという話なんだな、とはわかりました。18歳でも、それくらいはわかります。
涙が出たら「何かの病気だと思う」と言われた
話しているうちに、涙が出てきました。止めようとしたけど、止まらない。
「そうやって涙が出るのは、何かの病気だと思う」
何も返せませんでした。
そのあとに言われたのが、あの一言です。
「さくとさんは、何もやれてない」
その場では何も言っていません。持ち帰ります、とも言わなかった。ただ、頭の中ではもう決まっていました。
「仕事が遅い」と言われ続けた5ヶ月が、一言で消えた
あの一言が効いたのは、その5ヶ月、私が何もしていなかったからじゃありません。逆です。
入社してからずっと「もっと早く仕事できるように考えて」と言われていました。手順書はありません。教わり方は口頭だけ。だから、作業の流れを書き出すところから自分で始めました。
A案とB案を作りました。この順番でやったらどうか。こっちのほうが早いんじゃないか。紙にまとめて、先輩に見てもらいに行きました。どちらがいいですか、と聞くつもりでした。
返ってきたのはこれです。
「じゃあ、考えてきた案で仕事進めてみて」
戸惑いました。合っているか見てほしくて持っていったのに、そのまま通ってしまった。入って数ヶ月の18歳が書いた紙が、誰の確認も通らずに、その日から手順になりました。
当然、失敗します。経験がないので、次に何が起きるかの予測が立たない。手順を変えると、変えた先の別のところが詰まる。
正解がわからない。それでも、考えるのはやめませんでした。できない理由を、自分の中だけで探していたからです(そのころのことは新卒5ヶ月で辞めた。「なんで自分はできないんだろう」と自分を責めた日々に書きました)。
その5ヶ月が、「何もやれてない」の一言で終わりました。
やってきたことを否定されたんじゃない。やってきたこと自体が、なかったことになった。
家に持ち帰って、1日で決めた
その場で「辞めます」とは言いませんでした。言えなかった、のほうが正確です。
家に帰って、1日考えました。何を考えていたかは思い出せません。ぐるぐるしていた、という感じが近い。ただ、辞めるかどうかで迷っていた記憶はないんです。もう決まっていることを、確かめていただけだったと思います。
母に「辞めたい」と話しました。その夜眠れたかどうかは、覚えていません。
母に「定時まではいなさい」と言われた日、私は定時前に帰った
辞めると決めた瞬間より、はっきり覚えているのは、会社を出た瞬間のほうです。
伝えたのは、面談の翌日だったか、その次の日だったか。もう覚えていません。長くはかからなかった。
その日の朝、家を出るときに母に言われました。
「定時まではいなさい」
母は「辞めたい」を止めませんでした。
出社すると、支店長にまた呼ばれました。この前と同じ、話し合いの場です。
「辞めると決めました」
支店長はすぐ、常務に伝えに行きました。引き止めはありません。
そのあと、もうあの場にいられませんでした。あと数時間、あの席に座っている。それができない。
「次を探すので、帰ります」
そう言って、荷物を持って出ました。朝に母と交わしたことを、その日のうちに破ったことになります。まっすぐ家に帰って、あとで怒られました。
それでも、あれが初めてでした。18年生きてきて、誰の許可も待たずに、自分でその場を離れると決めたのは。
なぜ、あの一言が決め手になったのか
もしあなたが今、決め手がないことで自分を責めているなら、ここだけ読んでもらえたらと思います。
決め手になるのは、ひどさじゃなく「考える材料が尽きたこと」
もっとひどいことを言われた日は、ほかにもありました。怒鳴られた日も、全社員の前で名前を読み上げられた日もある。それでも辞めていません。
案を考える。やってみる。失敗する。それでも次を考える。このループが回っている間は、辞められません。まだやれることが残っているように見えるからです。「何もやれてない」は、そのループごと消しました。
だから1日で決まりました。迷わなかったんじゃない。迷うための材料が、もうなかった。
会社の話が、いつのまにか私の適性と体質の話になっていた
あの日言われたことを並べると、話がずれていくのがわかります。
手順書がない。教える人がいない。新人が書いた紙が、確認を通らずそのまま手順になる。休みの取り方を、誰も新人に教えない。これは会社の側の話です。
でも出てきたのは、「販売のほうが向いてるんじゃない」「涙が出るのは何かの病気だと思う」でした。私の向き不向きと、私の体の話になっている。あとから考えれば、仕事の評価ではなく、人格の否定に近い言い方だったと思います。
しかもあれは「話し合い」という形でした。
当時の私には、このずれが見えていません。言われたことを、そのまま自分の問題として受け取りました。
あとから知った、自分の反応の名前
ここまで書いてきて、自分でも思うことがあります。
先輩の優しい声ひとつで、行こうと決めてしまった。あの一角の広さも、扉がなかったことも、支店長の顔も、外に聞こえている感覚も、いまだに覚えている。答えが出ないまま、A案B案を考え続けてしまった。それなのに、その場を離れる決断だけは一瞬でできた。
こういう反応の仕方に名前がついていると知ったのは、ずっとあとです。HSS型HSPという言葉でした。
先に言葉があったわけじゃありません。当時の私は何も知らないまま、そう反応していただけです。気質のせいで辞めたとも思っていません。あの環境なら、誰が入っても同じことになったはずです。
ただ、名前がついたことで、あのときの自分を責めるのは少しやめられました。
今の自分が、18歳の自分に言うこと
よく、あの日に帰ってきたね。それだけです。
決め手が「たった一言」だったことを、私はもう恥ずかしいと思っていません。理由の立派さで決まるものじゃなかった。次に試せることが、自分の中にまだ残っているかどうか。あの日の私には、もう残っていませんでした。
それだけのことです。

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