入社して数ヶ月。毎朝、「なんで自分はできないんだろう」と思っていませんか。
私は18歳で入った会社を、5ヶ月で辞めました。2009年、高校を出たばかりのころです。
辞めたあとも、長いあいだ「自分がダメだったからだ」と思っていました。要領が悪かった、覚えが悪かった、根性がなかった。そう考えるほうが、なぜか自然でした。
でも今は、そうじゃなかったとわかります。
あのころの私に足りなかったのは、能力ではありませんでした。「自分以外を疑う」という発想です。
自分だけを見ていると、原因は自分の中にしか見つかりません。だから私は、5ヶ月かけて自分を削りました。
この記事に書くのは、そのときの私が持っていなかった材料です。
「そんなもん自分で考えろや」と言われた日
社内で使う資料を作ることになりました。部数は5部か6部。多くはありません。
上司が見本を見せてくれました。本のように開けて、見やすい形に製本されたものです。
でも私は、その作り方を知りませんでした。コピー機も、片面をとることしかできません。両面のとり方も、製本の仕方も、教わっていませんでした。
だから、聞きに行きました。上司の机のそばまで行って、作り方を聞こうとしたんです。
返ってきたのは、この言葉でした。
「そんなもん自分で考えろや!」
大きな声でした。
体がびくっとして、そのまま固まりました。
そのあと私が口にしたのは、「すみませんでした」です。謝って、コピー機に向かいました。
結局できあがったのは、片面のコピーを必要な分だけとって、まとめただけのもの。上司が見せてくれた見本のようなものは、作れませんでした。作り方を知らないままだったので、当たり前です。
その部屋には、上司が3人、先輩が3〜4人、同期が私を入れて3人いました。
誰も、何も言いませんでした。
辞めるまで、この件について声をかけられたことは一度もありません。
わからないことを聞きに行って、怒鳴られる。これが起きている時点で、そこは質問ができない場所だったということです。私の聞き方が下手だったわけではありませんでした。
断ってもだめ、断らなくてもだめだった
注文書を入力していたときのことです。先輩から別の仕事を頼まれましたが、目の前の作業で手一杯だったので、後回しにしました。優先順位のつけ方なんて、当時の私は知りません。
あとで、先輩に言われました。
「できないならできないって言って欲しい」
なるほど、と思いました。できないときは断っていいんだ。そう覚えました。
別の日、制作現場の方から、注文書の図面でわからないところがあるので問い合わせてほしい、と頼まれました。
その注文書は、私ではなく別の同期が処理したものでした。だから「それは私ではありません」という意味のことを伝えて、断りました。教わったとおりにしたつもりでした。
すると、後ろの席から声がしました。あの上司です。
「先輩が頼んでるんだからさやりなよ」
言葉では「わかりました」と答えて、引き受けました。
でも心の中では、こう思っていたんです。
「えー……。できないなら断っていいって言われたけど」
断れば怒られる。断らずにいれば、いつか「できないって言え」と言われる。どちらを選んでも、正解になりませんでした。
教わったとおりにやったのに怒られる。これは覚えが悪いのではなく、覚えるべき基準が決まっていない、ということです。
毎日、全員の前でミスが読み上げられていた
昼礼、という時間がありました。
昼休憩が終わると、電話番の1人を残して社員が集まります。そこで午前中の報告をするのです。
その報告の中に、ミスの共有がありました。商品の監査をしている方が、誰がどんなミスをしたのかを、全員の前で読み上げます。制作現場で起きたことも、事務側で起きたことも。
名前と、ミスが、セットで共有される。それが毎日ありました。
昼礼には、気になったニュースを発表する時間もありました。ニュースを紹介して、それについて自分がどう思ったかを話す、という内容です。
私の番が来たとき、ニュースの中身は話せました。でも、自分の考えをうまく言えませんでした。
昼礼が終わりかけて、みんなが動き出したころです。離れた場所から、大きな声で名前を呼ばれました。
視線が集まりました。
そのあと呼び出されて、言われました。自分の考えや思ったことが言えていないから、明日また発表してね、と。
私は、人前で話すのが苦手です。
その苦手なことを、うまくできなかったという理由で、次の日にもう一度やることになりました。緊張したまま、2日続けて全員の前に立ちました。
毎日、名前とミスが読み上げられる場所です。緊張しないほうが難しい。そう思えるようになるまで、ずいぶんかかりました。
私たちが、その会社で初めての新卒でした
そのことを知ったのは、先輩と上司が世間話をしているときでした。
会社から説明されたわけではありません。日常会話の中で、たまたま耳に入ってきたのです。
自分たちが、その会社で初めて採用された新卒だった。
言われてみれば、思い当たることばかりでした。
- 業務マニュアルはなく、説明はいつも口頭だけ
- 担当する仕事が毎週ローテーションで変わる
- そのあいだも電話は鳴り続ける
- 残業は毎日2〜3時間
辞めていく人がいました。ある日から連絡が取れなくなる人もいました。3日間泊まり込みで作業していた人もいました。
つまりあの場所には、きちんと教わって一人前になった新人が、ひとりも存在しなかったということです。
教える側も、教わったことがない。だから「新人にはこう教える」という形が、そもそも作られていなかったのだと思います。
先輩が悪かったとは思っていません。「できないなら言ってほしい」という言葉は、むしろ親切です。
ただ、新人がどう動けば正解なのかを決めている人が、いませんでした。だから聞く相手によって答えが変わりました。
何を選んでも誰かに怒られる。その状態が起きていたのは、私の理解力が足りなかったからではありません。決まった答えが、どこにも用意されていなかったからです。
朝、ベッドから動けなくなった
先に音を上げたのは、体のほうでした。
仕事に行く朝、家で、吐き気がしました。でも吐けません。お腹はきりきりと痛みました。行こうとすると、勝手に涙が出てきます。
病院に行って、腹痛の薬をもらいました。お腹にやさしいものを食べて、しばらく様子を見ていました。
それでも、ある日、動けなくなりました。
ベッドの中で、とにかく行きたくない、と思っていました。なぜなのかはわかりません。理由を説明できないまま、ただ強く、行きたくないと思っていたんです。
仕事に行こうとすると、涙が滝のように溢れました。子供のようにだだをこねるみたいに、「行きたくない、いやだ、行きたくない」と泣きじゃくっていました。
会社への連絡は入れました。しばらく行けないかもしれない、と伝えたつもりでした。
ただ、体調が悪いときは診断書をもらって休むという方法があることを、私は知りませんでした。休み方を、教わっていなかったのです。
結果として、無断欠勤という形になりました。
一週間近く、家にいました。そして、自己都合で退職しました。
「私のせい」か「環境のせい」かを見分ける3つの質問
あの一週間、家族は私を責めませんでした。母は、私のために怒ってくれました。家にいるあいだ、何も言わないでいてくれました。
いま思うと、あのころの私は、比べる相手が自分しかいませんでした。まわりを見る余裕もなかった。
もし当時の自分に、確かめる方法を3つだけ渡せるなら、これを渡します。
- 新人に教える人が、決まっているか
- 聞いたとき、答えが返ってくるか
- 同じことを別の人に聞いても、同じ答えが返ってくるか
3つとも「いいえ」なら、覚えられないのは当たり前です。覚える手段が、そこに用意されていないので。
私がいた場所は、3つとも「いいえ」でした。
今の私が、18歳の私に言うこと
あれから17年が経ちました。
今は、大きな声や人の視線に反応しやすい自分のことも、少しはわかっています。当時はその言葉すら知りませんでした。
あのころの自分に会えるなら、言いたいことは1つだけです。
高校を卒業したてで、よく頑張った。
もし今、毎朝「なんで自分はできないんだろう」と思っているなら。その問いを、一度だけこう置き換えてみてください。
「私は、教わっただろうか」
私がそこにたどり着くまで、17年かかりました。
辞めると決めてから、実際に伝えるまでのあいだにも、いくつかのことがありました。そこはまた別の記事で書きます。


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